熊野古道伊勢路馬越峠からは急な下り坂となる。石畳の階段道の下りは足にこたえる。
尾鷲側から登ってくる人もかなりきつそうだ。峠の手前で地元の人の話では尾鷲側からの方が急坂とのこと、また、前の台風被害や周囲の山のことなどを聞かせてもらった。

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石畳道と桜地蔵(安兵衛地蔵)
馬越峠の石畳がいつ頃敷設されたか不明であるが遅くとも江戸時代、紀州藩の街道整備(十七世紀前半)に伴って敷設されたことは間違いない。

全国有数の多雨地帯である尾鷲地方の熊野古道石畳は大雨による路面の流出や崩壊を防ぎ、夏草やシダ類などの繁茂を抑えて道路を確保することであった。この付近の石畳は、特に往時の面影を留め、山水を谷川に逃がす排水溝「洗い越し」など、工法に苦心の跡がみられる。

レンガ造りの御堂の地蔵尊は、御堂を改築された畦地安兵衛氏にちなみ「安兵衛地蔵」(桜地蔵・水呑み地蔵ともいう)と呼んでいる。

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馬越公園展望台から、

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馬越公園を越えると民家が見えてくる。

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