古代大和盆地は基準となる道路として、推古9年(601)に東西に横断する横大路が開かれた後、南北を横断する上ツ道・中ツ道・下ツ道が開かれました。近世江戸時代になると横大路は初瀬街道または伊勢街道と呼ばれ河内から伊勢に通じていました。
一方、下ツ道は、北は奈良を越えて山城まで達し、南は吉野・紀伊方面に通じており、後に中街道と呼ばれ、これらの街道の交差点が「八木札の辻」です。

「東の平田屋(旧旅籠)」(八木札の辻交流館)

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下の写真は、嘉永6年(1853)に描かれた「西国三十三所名所図会」の「八木札街(やぎふだのつじ)」界隈の絵図です。この絵図は「札の辻」を西南上方から描いています。

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中央に高札が描かれており、町の賑わいが表現されていて、東の平田屋が描かれています。六角形枠の井戸は半分に削られて東の平田屋の南に残されています。

八木の町並み
八木には札の辻を中心に古い町並みが残っています。

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所在地 奈良県橿原市北八木町2丁目1番1号