知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

歌碑

木下美代子歌碑

     −匂ひたつ 楠の若葉を もるゝ陽に
            たどるとほ世の 歌塚の文字−

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与謝野晶子歌碑

       ふるさとの 潮の遠音のわが胸に
               ひびくをおぼゆ 初夏の雲

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与謝野晶子は、近代文学・古典現代語訳・社会評論・教育など多方面で時代を切り拓きました。

与謝野晶子歌碑

       すべて眠りし女 今ぞ目覚めて動くなる

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「山の動く日きたる」という詩の一節です。


   −お知らせ−
明日16日〜22日まで入院します。
ブログ更新も訪問も出来ません、帰り次第訪問致します。

与謝野晶子歌碑

       地はひとつ 大白蓮の花と見ぬ
             雪の中より 日ののぼるとき

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与謝野晶子は、生涯に短歌5万首を詠んだとされます。
与謝野晶子の、女性の自由と自立をめざした評論活動や、「君死にたまふことなかれ」の詩に書かれたことは、現代では誰でも納得するきわめて当然の内容です。しかし、晶子の生きた時代には、理解されない場合が多く、数々の非難中傷を受けました。

        あゝをとうとよ 君を泣く
        君死にたまふことなかれ、
        末に生れし君なれば
        親のなさけはまさりしも
        親は刃をにぎらせて
        人を殺せとをしへしや、
        人を殺して死ねよとて
        二十四までをそだてしや

この詩は日露戦争に従軍した晶子の弟への思いを詠んだもので、時代を超えて人々の心を打つ作品ですが、明治38年の発表当時は、
「国家観念を藐視したる危険なる思想の発現なり」と非難されましたが、晶子は「当節のやうに死ねよ死ねよと申候事、又なに事にも忠君愛国などの文字や畏おほき教育勅語等を引きて論ずる事の流行は、この方却て危険と申すものに候はずや――」と反論しました。

与謝野晶子歌碑

       和泉なるわがうぶすなの大鳥の
                     宮居の杉の青き一むら

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与謝野晶子は、菓子商の堺駿河屋二代目当主鳳宗七と津祢の三女として生まれました。若き日、創設まもない東京新詩社に参加し、夫の鉄幹と共に「明星」浪漫主義を推進し、わが国における近代詩歌の黄金期を築きました。
後年は『源氏物語』の現代語訳をはじめ、女性・教育問題に関する評論などの多彩な業績によって、近代女性表現者の先駆的存在として位置づけられています。

与謝野晶子歌碑

浜寺公園にある与謝野晶子歌碑

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ふるさとの和泉の山をきわやかに浮けし海より朝風ぞ吹く  晶子

(ふるさとの自然を詠んだこの歌は、大正8年、晶子が41歳のときの歌と云われる)

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海恋し潮の遠鳴りかぞへては少女となりし父母の家   与謝野晶子

与謝野晶子歌碑

本願寺堺別院に与謝野晶子歌碑がある。

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−劫初より作りいとなむ殿堂に われも黄金の釘ひとつ打つ−  晶子

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「夕ぐれの浅水いろの浴室に
       あればわが身を月かとぞ思ふ」  与謝野晶子 

与謝野晶子歌碑

情熱の歌人と云われる与謝野晶子(1878〜1942)は堺市甲斐町の出身で、和菓子商を営む父鳳宗七と母津祢の三女として生まれました。

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その子はたち くしにながるる くろかみの おごりの春の うつくしきかな

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堺女学校(現泉陽高校)を卒業し、有名な歌集に、「みだれ髪」「恋衣」「舞姫」などがあります。

祇園小唄

京阪電車の祇園四条駅がら東に向かうと円山公園がある。
公園内に祇園小唄の歌碑がある。


           作詞 長田幹彦/作曲 佐々紅華

    月はおぼろに東山
    かすむ夜毎のかがり火に
    夢もいざよう紅桜
    しのぶ思いをふりそでに
    祇園恋しや だらりの帯よ

祇園小唄歌碑


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