江戸時代日野椀に代わって行商の有力商品となり、日野商人を発展に導く大きなものに合薬があった。創始者は正野法眼玄三である。
玄三は18歳の時、日野椀や茶・布を持ち行商に出たが母の病気で帰郷した。

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当時、京都の名医の診療で母の病気を治すことができたことから医師を志し、医師になった後は医薬に恵まれない山間辺地の人や日野商人の長旅用の道中薬として感応丸を作った。
この合薬を日野商人が全国に持ち歩くうち効き目が評判となり、地元日野で製造する人も増え、現在も伝統産業として息づいている。