山門(史跡)
この山門は、天正年間に豊臣秀吉の命により飛騨を平定した金森長近の女婿、可重の築城にかかる増島城が元和五年(1619)一国一城の幕命により廃城された際に、その城門を円光寺山門に移築された。

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上町塔の腰塔心礎
この巨石は往時古川町上町字塔の腰所在、上町廃寺の五重塔の塔心礎である。この石は古川町上町字塔の腰に古くから残存していたことが「飛洲志」など諸書に記載されており、付近からは白鳳期や奈良期の丸瓦・平瓦が採集されている。
明治初年に塔の腰から円光寺境内に移され現在に至る。飛騨国内で残された塔心礎四基のうち、柱穴の最も大きいのがこの心礎である。

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本堂は寛門七年(1667)に建立され室町時代の様式が名残をとどめている。

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水呼びの亀
建築の際、本堂の妻に何を彫刻したら良いか棟梁らも思案にくれていたところ、旅の老人が「亀を彫っておけば火災からの難が逃れる」とひとこと言って立ち去った。

明治37年に古川大火(民家全焼877戸)があったが、本堂の妻に彫刻された水呼びの亀によって類焼からまぬがれたという。

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