知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

河内長野

パソコンが!

私がパソコンを手にして15年以上になる。当初は文章作成に使っていたがインターネットに興味を覚えたのが2002年秋頃と記憶している。
初めてインターネットに繋いで表示されたのが下の写真の画面だった。あれから5台目のパソコン、最近、スイッチを入れて立ち上がりが15分程度かかるようになった。コーヒーを入れて飲む頃にちょうど良い時間なのでそのまま使っている。
クリックすると同じ画面が2枚表示されることもある。そろそろかなと思っている。

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築堤(大阪府河内長野)
江戸時代になると寺ヶ池や水路の築造により新田開発が盛んにおこなわれるようになったが、鳴尾(どんど)地区では水の便が悪く明治時代後期まで水が乏しい状態が続き、わずかに野菜が栽培される程度だった。

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これを憂いた当時の篤志家が、寺ヶ池の水を利用できるように、高さ2メートル、幅4メートルの築堤を行いその上に水路を築造し、農業用水を供給できるようにしたことにより、この土地を肥沃な水田につくりかえることができた。
現在は、この築堤は取り壊され右の土地と共に公園として利用されている。

高野街道

東高野街道と西高野街道は河内長野で合流して高野街道となります。

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河内長野駅前を南下して国道371号線を横断すると上り坂となって三日市宿へと続く。

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奥河内の玄関口、河内長野駅は大阪難波から30分、大阪の南東部、緑あふれる河内長野周辺は奥河内と呼ばれています。

長野新地

大阪府河内長野は、明治の末頃、高野鉄道が開通したことにより極楽寺温泉など観光地として賑わい、昭和に入ると石川沿いに長野新地ができたとの説明がある。

私が言い伝えにより聞いた話では高野鉄道建設には村人が多数協力している。河内長野駅から三日市町駅まで延長されたのは大正に入ってからだ。

職場の先輩から新地に連れって貰ったのはまだうら若き頃だったと記憶する。現在の河内長野駅東口から左に坂道を下ると右に降りる階段がある。

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この石川に架かる黄金橋(こがねばし)を渡ると長野新地があった。
道の両側には灯の付いた提灯が周りを照らし小料理屋が立ち並んでいた。


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三叉路を左に曲がった右に小料理屋はあった。
入り口を入ると正面にカウンターがあって左に個室が並んでいた。その個室でおばあさんが三味線を弾いてくれるのであった。

時代の流れかすべて住宅地となっていた。温泉宿は何軒か残っているようだ。
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