文久3年(1863)8月17日未明、三日市宿に太鼓や鐘が鳴り響いた。公家 中山忠光を盟主とする尊皇攘夷派の志士の一行が天皇の大和行幸を契機として倒幕の兵を挙げる大和五条に向かうため、油屋に到着したのであった。

彼らは休息し、この間に体勢を整えた。当時、当主の油屋庄兵衛は三日市近在の村からの人足徴用や駕籠の手配など、彼らの世話をしたと語り伝えられている。

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早朝一行は、観心寺に向かい楠公首塚の前で決起した。その後、千早峠を越え、夕刻、五条代官所を襲撃し「五条新政府」の名乗りをあげた。

しかし、京では「八月十八日の政変」により彼らを支援していた長州藩や公家の三条実美等が失脚し天皇の行幸は中止となり彼らは目的を失い転戦するも幕府軍に追撃鎮圧されてしまう。

この事件が「維新の先駆け、天誅組」である。
時代が明治へと大きく動く5年前のことであった。