堺のまちを囲んでいた環濠は、戦国の世から近代にいたるまで、海に開かれた都市堺における平和と繁栄の象徴として存在してきました。
「堺は東洋のベニスの如し」 これは宣教師ガスパル・ビレラが本国に送った報告書のですが、「堺の町は甚だ広大にして大なる商人多数あり。この町はベニスのごとく執政官に依りて治められる」と記しています。
執政官に相当するのが会合衆と呼ばれる豪商たちで、堺の町の運営や訴訟を裁くなどの権限をもって町を治めていたのです。

大正頃の土居川(宿屋町付近)

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堺の中心部を流れる内川・土居川は、400年にわたり堺のまちを見守り、舟の運航や排水路として堺の発展してきました。堺の都市化とともに川は利用されなくなり工場廃水や生活廃水で水質は悪化していましたが、最近ではみんなの努力によってだんだんと水がきれいになり、いろいろな魚や鳥が住むようになってきました。

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南海鉄道の橋脚
川の中に残されたレンガ造りの橋脚は、戦前に実際に使われていた南海鉄道の橋脚です。南海電気鉄道の前身である阪堺鉄道は、我が国最初の純民間資本による民鉄です。阪堺鉄道事業譲渡された南海鉄道は、この橋脚の上を通って明治36年に難波から和歌山市間を結びました。
戦後、戦災復興土地区画整理事業に伴い、昭和23年度に阪堺線・同大浜支線、昭和30年度に南海本線が鉄軌道移設され南海本線は以前より西側に位置します。

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