知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

浅井長政

長浜城

1573年(天正元年)、羽柴秀吉が浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領した際に当時今浜と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し長浜に改名した。

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湖北三郡を与えられた羽柴秀吉は、天正2年(1574)頃、小谷から当地に城下町を移し居城とした。
天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦では、ここを根拠地として大勝し、織田信長後継者としての立場を確立した。

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小谷城跡 −出丸跡−

小谷城は、浅井亮政・久政・長政の三代にわたって、小谷山全域に築かれた我が国でも屈指の規模をもつ中世城郭で、日本五大山城に数えられている。

出丸跡  主郭尾根の最先端にあり、小谷城を守る最前線の砦

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浅井家は、三代にして50年余りで滅んだが長政とお市の方との間に生まれた三人の姫は、それぞれ、長女の茶々は豊臣秀吉の側室−淀君−として、次女の初子は大津城主京極高次に嫁ぎ、三女の達子は徳川二代将軍秀忠の夫人となった。

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小谷城跡

小谷城は、長浜市の小谷山全域に築かれた我が国にでも屈指の規模を持つ中世城郭で日本五大山城の一つに数えられている。浅井家が3代にわたって居城としていました。

築城は1524年頃で、湖北の大名・浅井長政と織田信長の妹で戦国一の美女といわれたお市の方、その間に生まれた3人の娘・浅井三姉妹(茶々、初、江)ゆかりの城です。
織田信長との戦いで浅井家が滅んだ後、羽柴秀吉に与えられたが、秀吉は今浜(長浜)に城を築いたために、そのまま廃城となった。

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浅井長政

浅井長政(1545〜1573)
1545年近江国浅井郡に生まれる。湖北3郡を支配していた織田信長と同盟を結ぶが旧縁の越前朝倉義景と共に信長を窮地に追い込むが1570年の姉川の戦いにおいて敗戦し小谷城に籠城し総攻撃のなか、1573年9月1日、29歳で自害する。

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お市の方(1547〜1583)
小谷の方、1547年尾張国に生まれる。織田信長の妹、1568年に結婚する。長政24歳、お市22歳、茶々・お初・お江を生むが1573年の小谷城落城により長政は自害、5年ほどの結婚生活であった。お市はのちに柴田勝家と再婚するが賤ヶ岳の戦いに敗れ1583年4月24日、夫と共に自害する。37歳であった。
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