慶長20年(1615)、大坂夏の陣がおこり、豊臣・徳川方が最初に激突したのが樫井合戦である。
この石塔は、豊臣方の武将としてこの地で討死した淡輪六郎兵衛宝篋印塔である。淡輪氏は古くから和泉国淡輪(現岬町)の豪族であった。六郎兵衛の姉は豊臣秀次の側室の小督局で、その子お菊も夫とともに豊臣方として戦った。

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慶長20年4月、徳川方は全国の大名に大坂城を攻撃するよう命じた。これに対して、豊臣方の一軍は徳川方の紀州和歌山城主浅野長晟の軍と戦うべく紀州に進んだ。
六郎兵衛はその先鋒隊となり4月29日早朝、塙団右衛門とともに熊野街道を南下し、樫井で待ち構える浅野軍に突入し乱戦の中で討死した。
この宝篋印塔は寛永16年(1639)25回忌にあたり淡輪氏の末裔の本山氏が淡輪にて石材を整えて建立した。その後も当地の人たちにより守られてきた。

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