賤ヶ岳の南麓「大音」「西山」の里は製糸業(生糸)の盛んな地方であった。
琴糸や三味線糸は黄色であるがその染色は昔は梔子(くちなし)の実が使われていた。今もこの地方には庭先や畑地には梔子が植えられているとある。

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賤ヶ岳古戦場
「信長公記」によると賤ヶ岳合戦以前天正元年に浅井朝倉方の賤ヶ岳布陣の記録がある。また、「領家文章」には天正元年に「しつかたけの城」とあり賤ヶ岳合戦以前の賤ヶ岳城が確認できる。

1583年、信長の重臣であった柴田勝家と羽柴秀吉がこの賤ヶ岳を中心として信長の後継者争いをし秀吉が勝利し天下取りを決意した戦いだといわれている。

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賤ヶ岳から奥琵琶湖を望む

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余呉湖

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備考: 秀吉方で功名をあげた兵のうち7人は後世に賤ヶ岳の七本槍と呼ばれる。
     福島正則、加藤清正、加藤嘉明、脇坂安治、平野長泰、糟屋武則、片桐且元
     実際に感状を得て数千石の禄を得たのは桜井佐吉、石川兵助一光も同様とある。

    それ以外にも石田三成や大谷吉継、一柳直盛も含めた14人の若手武将が最前線で武功を挙げ
    たと記録されている。