知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

特別史跡

五稜郭跡(特別史跡)


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幕末の函館開港に伴い設置された函館奉行所の防御施設で、函館奉行配下の諸術調所教授役で蘭学者の武田斐三郎成章により中世ヨーロッパで発達した城塞都市を参考に設計された西洋式土塁です。

半月堡
西洋式土塁に特徴的な三角形状の出塁で、馬出塁ともいいます。郭内への出入り口を防御するために設置されています。

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稜堡と呼ばれる5つの突角が星形の五角形状に土塁がめぐらされていることから五稜郭と呼ばれ、郭内には日本伝統建築の函館奉行所庁舎とその付属建物が建てられました。

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安政4年に築造を開始して7年後の元治元年に竣工、同年6月に奉行所が移転して蝦夷地における政治的中心地となりました。

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黄葉亭(閑谷学校)

武士の子弟が学ぶ藩校は岡山市内にあった。閑谷学校は庶民の学校として藩主池田光政が「この地は読書・学問するによし」として重臣津田永忠に建設を命じた。

火除山

文庫の西にある丘は学舎学寮から火がでるようなことがあっても講堂などに飛び火しないように人工の山を築いた。

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この火除山の西に学房跡がある。

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現在残されている建物は明治38年私立中学閑谷黌の校舎として建築されたものである。

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現在は資料館として使われている。

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黄葉亭

閑谷学校の東を流れる閑谷川に沿って進むと津田永忠宅跡があり、さらに進むと黄葉亭がある。
来客の接待や教職員・生徒の憩いの茶室として文化10年(1813)に建てられた。

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閑谷学校

校門
閑谷学校の正門で鶴鳴門とも呼ばれる。
学校の建造物のなかで棟に鯱をのせるのは校門だけ、

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校地を取り巻いている石塚の長さは765メートルに及び、南側と東西の石組みは「切り込みはぎ」と呼ばれ他に例がなく備前焼瓦と共に独特の景観を演出する。

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講堂(国宝)
入母屋造り錣葺きの大屋根をのせている、こけら葺きの屋根を作った上に垂木ごと漆をかけた一枚板を張り、その上に備前焼瓦をのせるといった造りで雨水に対する対策がとられている。

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元禄十四年(1701)の完成で、内部は10本の欅の丸柱に囲まれた内室とその周囲の入側からなり外回りを広縁でとりまいている。

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一と六のつく日に四書五経などの講釈、正月の読始めの儀、藩主臨学のときの講釈が行われた。

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閑谷学校石門(特別史跡)

石門は、岡山藩主池田光政が閑谷学校の校門として元禄10年(1697)に立てられた。
門柱の高さは3.80メートル直径0.63メートルであり建立当時は幅員二メートル余りの道を挟んで石門が立っていたが数次にわたる埋め立てによってほとんどが地中に埋もれている。

石門

延宝8年(1680)、閑谷学校の永続をはかるため閑谷村の田畑山林を買い上げ閑谷学校を地主とした。
門の両側には柴垣が設けられ、これより北が閑谷学校の校地となった。

浄土庭園(毛越寺)

塔山を背景に仏堂の前に造築された庭園で、池には南大門から中島、さらに円六へと続く二つの橋が架けられていた。

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池は海を表現していて汀には洲浜、荒磯、築山など海浜の景趣が配されている。

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広大な境内には、かつて金堂円六をはじめ嘉祥寺・講堂・常行堂・経楼・南大門などの堂舎が並び、その前庭に大泉が池を中心とする浄土庭園が配されていた。

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「平泉−仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として世界文化遺産に登録された。

所在地 岩手県平泉町大沢58

一乗谷

一乗谷朝倉氏遺跡

特別史跡 特別名勝 重要文化財指定

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