狭山池石樋
この石樋は、奈良市東大寺の重源が建仁2年(1202)に伏せたもので富田林の「お亀石古墳」付近から運んできたと現地では伝承する。
石棺身の両端を切り取って並べ、蓋を置いて樋官に利用した。昭和初期池の改修前は中樋筋の水路中に亀形の蓋石だけが露れてあったので、これも昔からお亀石という。

-

狭山池中樋放水部の石棺群
鎌倉時代に重源が伏せた「石樋」の樋管、大正末年・昭和初年の狭山池改修時に中樋放水部付近から出土した。古墳時代後期から終末期の刳抜式家形石棺と横口式石槨材を再利用している。
博物館内で展示している1点をはじめとし、家形石棺蓋2点、石棺身4点、石槨材1点を数える。石槨材1点は花崗岩、他はすべて凝灰岩(竜山石)である。石棺身のうち1点は底部に円孔を穿つが、その加工は途中で終わっている。中樋取水部の試作品であろう。

-

石樋の蓋

-