かつて「さやま遊園」があったこの一帯には、江戸時代に狭山藩北条氏の陣屋の下屋敷がありました。

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北条氏は戦国大名北条早雲末裔で、二代目藩主氏信が元和2年(1616)に狭山池北東の地に陣屋を築き始め、三代目藩主氏宗の代の寛永14年(1637)に完成しました。

下屋敷は五代藩主の氏朝(1669〜1735)が、幕府領半田村の狭山池に臨む景勝の地を借地し、延宝5年(1677)に着工したもので、宝永年間(1704〜1711)に完成し、面積は10164坪ありました。天明2年(1782)上屋敷の火災で類焼し、その後再建されました。

敷地の北西寄りに藩主別邸の御殿があり、それを囲むように東部に藩士の屋敷が軒を並べていました。南部に馬場、西部に的場(弓道場)、狭山池に面して狭山池北堤を守る堤明神、南東部には鉄砲製造所や煙硝蔵(火薬庫)もありました。西側には狭山池、東側には東除川、東側と南側の外周には水濠状の水路を設けて外部と区切った構造になっていました。