知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

町屋

ぶらり貝塚寺内町(近木)

寺内町当時のまちわりとともに、古くは江戸時代後期から明治、大正、昭和の伝統的様式の町屋が数多く残されています。

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夏空に太鼓とどろく近木町や汗しとどなるよき男伊達  田辺聖子

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池上邸(本町通り)

本町、下町、南町の通りは松山往来と呼ばれた街道筋にあり、ほぼ直線に配置された備中松山城の大手道の要素をもっていました。
かつての商売の中心地で平入りの町屋が立ち並んでいます。

「平入りの町屋」
高梁の伝統的町屋の形態は、敷地は東西に長い短冊形が基本で、間口が狭く奥行きの長い敷地に建ち、のそ敷地の道路側に主屋が設けられ、背後に炊事場、風呂、便所、土蔵などの付属屋が連なっていく形式です。

池上邸(現在は商家資料館、無料休憩所となっています)
古い商家の並ぶ本町通りにある池上邸です。池上家は享保年間(1716〜1735)、徳川八代将軍吉宗の時代に、この地で小間物屋「立花屋」を始めました。

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代々小間物屋を営みながら高梁川水路の船主・両替商などもして財を築きました。
明治28年(1895)、八代目の当主、池上長右衛門の時立醤油として醤油の製造販売を始め、昭和37年に閉業するまで年間約1000石を生産し、近隣はもとより市外へも販売していました。

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延喜びな(約20年前のおひな様)

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現在残る建物は天保の大火災の後、天保14年(1843)に七代目当主によって建てられ、一部大正時代に改築されたものです。

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備考 
    町屋の特徴
 
   ※ 平入(ひらいり) 建物の棟が道路に並行
   ※ 厨子二階(ずしにかい) 天井の低い二階で倉庫として利用
   ※ 虫籠窓(むしこまど) 虫かごの形をした二階の窓(厨子二階の換気)
   ※ 格子(こうし) 平格子と出格子(丸棒格子もある)
   ※ 絵様持ち送り(えようもちおくり) 庇の支え木(寺社風、装飾用がある)
   ※ 板暖簾(いたのれん) 日射しを防ぐため庇の下に吊し下げた板
   ※ なまこ壁(なまこかべ) 壁面保護のため方形の平瓦を張り漆喰で塗装
   ※ 袖壁(そでかべ) 二階側面にある防火用壁(うだつ)
   ※ 起り屋根(むくりやね) 上面が凸曲線となっている屋根

    町屋の建設年による特徴

   ※ 江戸〜明治初期     厨子二階、虫籠窓
   ※ 明治中期〜大正初期  中二階(座敷として利用)、出格子(大正時代は丸棒)
   ※ 昭和初期          高い二階で塗り壁 

備中松山城下町

鎌倉時代から続く歴史と伝統の備中松山城下の町並みをのんびり散策、

慶長10年代(1605〜1614)に小堀正次、政一(遠州)親子が備中国奉行(備中代官)として着任してから、備中松山城の修築と備中国特産物の生産、集荷及び家臣団の需要に対して、家中屋敷(武家屋敷)の西、松山川(高梁川)に沿って城下町づくり(町屋)に着手したのが本町の誕生でした。

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高梁の町屋の形態は、間口が狭く奥行きの長い短冊形の敷地に建ち、その敷地の道路側に主屋が設けられ、その背後に炊事場・風呂・便所・土蔵などの付属屋が連なっていく形式です。

この形式は京都の町屋に見られるが、岡山県周辺では高梁のほかに高梁川流域の玉島で見られるだけの珍しい形式となっている。
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