知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

石垣

大坂城の石垣

羽柴秀吉掟書
天正十一年(1583)八月二十八日付の黒田勘兵衛宛ての掟書、大坂築城工事に関する指令書の中でもっとも古いもので工事の方針が書かれている。
第一条、採石場は公開とし一人独占は認めない。
第二条、石運び要員の宿舎は石場に野陣を張ること。大坂に宿舎のある者は別途対応のこと。
第三条、石運びは大石を引く者に道を譲ること。
第四条、喧嘩口論は厳禁のこと。
第五条、石運びの人夫が百姓に理不尽なことをすれば犯罪行為として断固処罰せよ、もし見逃したりす
      れば、その主人まで責任を問う

このような内容の指令書が黒田勘兵衛に与えられたのは彼が普請奉行といった重要な任務についていたからであった。

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天下人徳川家康の居城にふさわしい堂々たる石垣の巨石はどのような方法で行われたのか、
石垣の高さは内堀の東部が最高で、水面から24メートル、水深約6メートル、堀底から根石まで2〜3メートル、合計32〜33メートルと推定される。

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使われている石材は100万個とも推定され、100トンもある比類のない巨石が用いられていることも特徴の一つにあげられる。
これらの石垣は元和・寛永年間(1620〜29)の徳川再建工事によって築かれた。

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石垣築造に至る過程は筑前黒田家の覚書によると、
1.石掘割り(石切場での採石) 2.山出し(海岸までの石材運搬) 3.浜出し(水上運搬) 4.水上げと修羅曳き(石船から陸揚げし丁場まで修羅で曳く) 5.栗石持ち(栗石を丁場まで運ぶ) 6.根石置き(丁場より石を曳き栗石を栗石を運び、根石を据える) 7.石積み(石垣を積み上げる) 以上のような行程があるが、実際は堀の掘削、石の運搬路建設、石置場の整備、仮宿舎の建設などがある。

重量物運搬用の修羅

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和歌山城石垣の石切場跡

和歌山市岡公園は、和歌山城築城の石垣用の石切場でした。今も、石を切り出すときにできる「矢穴」がみられます。

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石の材質は結晶片岩(緑色片岩)で「紀州の青石」と呼ばれている。ここで切り出された石は天守閣や本丸周辺の石垣に用いられました。

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穴太衆積みの石垣

この石積みは「穴太衆(あのうしゅう)積み」と呼ばれ滋賀県大津市の坂本にみられる。

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その特色は加工しない自然の石面を巧みにもちいて石積みの面を構成しており、特にコーナーの整理された自然な美しさと堅固さにある。

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石垣の刻印(和歌山城)

和歌山城の石垣のうち2110個に刻印がある。
刻印のデザインは多種多様で家紋やその省略文字であったり方位や日付、人名と考えられるものもある。何のために刻印されたかは諸説がありわかっていない。

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刻印のある石垣が和泉砂岩に限られ、浅野家が城主だった時代(1600〜1619)に修築された石垣にしか使われていないことなどから浅野家の家臣が主家の城普請に協力したしるしとして刻印したという説がある。

打ち込み接(松江城石垣)

島根県庁は観光客に土日祭は駐車場を開放している、全ての駐車場ではないので要注意。

松江城の石垣は、「野面積み」と「打ち込み接」(全体の6割)という石積み手法で城は5年で完成したが、そのうちの3年を石垣に費やしたといわれている。

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※ 野面積・・・自然石や割石を積む方法
※ 打ち込み接(はぎ)・・・石切り場で切り出した石の平坦な面の角を加工し合わせやすくした積み方

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石に刻まれた刻印は堀尾家の紋で、工事の分担や石切場の区、別合わせ印など土木工事を円滑組織的に行うために付けられた記号と考えられるとしている。
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