石門は、岡山藩主池田光政が閑谷学校の校門として元禄10年(1697)に立てられた。
門柱の高さは3.80メートル直径0.63メートルであり建立当時は幅員二メートル余りの道を挟んで石門が立っていたが数次にわたる埋め立てによってほとんどが地中に埋もれている。

石門

延宝8年(1680)、閑谷学校の永続をはかるため閑谷村の田畑山林を買い上げ閑谷学校を地主とした。
門の両側には柴垣が設けられ、これより北が閑谷学校の校地となった。