知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

福山城

鐘櫓(福山城)



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鐘櫓
本丸西側に位置し、はじめは鐘を吊り太鼓を懸け、時の鐘と半時の太鼓をうっていたといわれる。石見国(島根県西部)大森銀山の応急監督を命ぜられ、人数をくりだす必要があったためという。
鐘は儒者山室如斉、菅茶山の銘を刻んだものもあったが、現在は無名である。

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備考
元和5年(1619)徳川時代の臣、水野勝成が備後10万石の領主となり、ここ福山に城を築いてから福山の城下町としての歴史は始まり、その後、水野氏5代、代わって松平氏1代、阿部氏10代と廃藩置県に至るまで福山城が藩治の中心となりました。
明治6年廃城となり、天守閣、伏見櫓、筋鉄櫓、御湯殿を除いて、ほとんど取り壊されました。
昭和20年の戦災により天守閣と御湯殿を焼失しました。幸い焼失を免れた伏見櫓、筋鉄御門は昔日の姿を止め国の重要文化財に指定され、城地は国の史跡として保存されている。

月見櫓(福山城)

月見櫓
月見櫓はもと京都伏見城内にあったものを移築したものです。本来は着見櫓のことです。
追手側も入江方面展望できる南西隅に築かれ、藩主等の到着を見極める役割をなしていました。1階南面に石落としがあり、古い建築様式で、明治初年に取り壊されたが昭和41年に天守閣とともに外観復元されました。

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天守閣
福山城の城郭は南面し、天守閣は本丸の北隅に位置している。五重六階地下一階、別に二重三階の付櫓をもつ複合天守で、外見は六重のように見えます。

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一重目の南北面と二重目の東西面は比翼入母屋、その他の各層には千鳥破風や唐破風を設けている。
城号は敵追山(鉄覆山)朱雀院久松城といい、別名を葦陽城ともいう。

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筋鉄御門(福山城)

竹原からの帰り、時間があったので福山で途中下車して福山城と周辺を散策しました。
この階段を登っていると散歩していた地元の人が福山城の歴史を教えてくれました。

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筋鉄御門
桁行10間、梁間3間、入母屋造り、本瓦葺の脇戸付櫓門で伏見櫓と同じく伏見城から移築されました。
下層の各柱には根巻き金具を付け、四隅に筋金具を打ち、扉にも12条の筋金を鋲打ちし、乳金具を飾るなど、強固な造りとなっています。

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御湯殿

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京都伏見城内にあった豊臣秀吉の居館を移した伏見御殿に付随した建築で、国宝に指定されていました。
建築の一部は石垣上に張り出し、内部は物見の段と風呂の間とにわかれていました。昭和20年の戦災により焼失しましたが、昭和41年秋に、天守閣とともに外装、内部ともに復元されました。

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福山城

いつも「知音の旅人」へ、 ありあとうございます。
次回からの更新は福山城から高野山へと進みますが、4月26日(日)まで休みます。

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