江戸時代、熊野三山への参詣道として栄えた街道で、糸我峠・逆川王子(吉川)・方寸峠(方津戸峠)・道町(湯浅)・久米崎王子と経て鹿ヶ瀬峠を越え遠く熊野に至る。

この道標(立石)は、天保九年(1838)の建立で、紀三井寺、熊野、伊勢、高野への参詣道を標示している。

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昔この一角は、聖護院及び三宝院の門跡が熊野入峰の道中、護摩を修した跡と伝えられている。

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備考 
熊野古道は中世以来、熊野三山(本宮・新宮・那智)へ参詣する人々が通った街道である。熊野詣は、平安時代の後期、、上皇(法王)・女院・貴族がたびたび三山に参詣したことをきっかけに盛んになる。
やがて参詣の主役は武士や庶民に移り、先達や比丘尼の布教活動もあって、室町時代には「蟻の熊野詣」といわれるほど多くの人々が全国各地から熊野に押し寄せた。

熊野に向かう道には紀伊路と伊勢路があり、紀伊路のうち田辺から先は、山中を本宮へと進む中辺路と、海岸線を迂回し那智・新宮を経由する大辺路とがあった。上皇の参詣を始め多く用いられたのは中辺路であった。