大書院は、1609年(慶長14年)築城とほぼ同時に建てられたと考えられ廃城令まで約260年にわたって公式行事に使われてきた。

篠山城大書院


一大名の書院としては破格の規模と古式建築様式を備えていたが1944年(昭和19年)1月6日の夜、火災により焼失した。

上段之間

大書院を復元するにあたっては古絵図、古写真、発掘調査等の総合的な学術調査がなされ2000年3月に完成した。


篠山城大書院


地元の人から聞いた話として、
昭和19年の火災のとき、堀の水は清掃のため抜かれていたことから消火ができなかった。火柱は空高く舞い上がりそれはそれは大きな火災だったという。

火災は前夜から泊まっていた消防団の失火ではないかと地元では噂が広まったが原因は不明となっている。
現在は、夜も監視員が常駐して大書院を守っている。

新しい大書院建設の際、高さが前の大書院と比べて低い為(聞き漏らしたが建築基準法か)、盛り土をして高さを合わせたこと。