和歌山県橋本市にある清水の町並みを見ようとクロスバイクで行ってきました。紀見峠を超えて橋本駅に着いたのが8時30分、紀の川に架かる橋本橋を渡り右折れして暫く走ると右に常夜灯が見えてくる。

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清水は紀の川南岸の三軒茶屋から学文路を経て、女人堂に至るこの道は、京都・大坂から高野山への高野街道の宿場であった。
紀ノ川南岸の賢堂三軒茶屋に渡し場を示す宝暦2年(1752)の常夜灯が2基残っている。

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清水村は元和10年(1624)には家数197軒、人数879人であった。高野街道の伝馬所として栄え、街道には参詣人の道中の安全を守るために六つの地蔵を祀っていた。

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この地は古くから高野山領で、天正19年(1591)に豊臣秀吉が興山寺の木食応其(もくじきおうご)に与えた1000石の領地であった。それは、織田信長の全国統一事業を受け継いだ秀吉が、天正13年(1585)紀州攻めを行い根来寺を焼き払い、太田城を水攻めにした。高野山は木食応其を秀吉のもとに送って、戦わずして降伏したことによる。

南海高野線紀伊清水駅

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紀伊清水駅で9時15分、ここから五條・御所・葛城と走り、竹内峠を超えました。

これは、まぼろしの鉄道と云われた五條から新宮(五新線)跡、

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本日の走行距離は85キロでした。