紀伊続風土記、根来焼討太田責細記によると、
太田左近は、天正13年(1585)全国制覇をもくろむ豊臣秀吉に対し太田城に立てこもり紀州の土豪を指揮して抵抗した。

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一ヶ月に及ぶ水攻めを受けた後、自らの命を賭して城中の子女の助命を願い開城した。中世紀州の士豪の気風を集約した人物といえる。