太宰治(1909〜1948) 本名 津島修治
青森県津軽の大地主の家に生まれる、父親は貴族院議員も務め邸宅には30人の使用人がいた。

「苦悩の年鑑」のなかで、
「私の生れた家には誇るべき系図も何も無い。どこからか流れて来て、この津軽の北端に土着した百姓が私たちの祖先なのに違ひない。私は無智の食ふや食はずの貧農の子孫である。私の家が多少でも青森県下に名を知られ始めたのは曾祖父惣助の時代からであつた 」

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