-

およそ400年前、天正十九年我が国茶道の大成者である千利休は豊臣秀吉の怒りに触れ死を命じられた折、
秀吉の怒りが千家一族及ぶのを恐れた会津領主 蒲生氏郷は利休の子、小庵を会津に匿い千家が再興できるように願い出た。

−


その結果、秀吉の怒りが解け千家再興が許された。
この蒲生氏郷の恩義に報いるべく小庵が建てた茶室が「麟閣」と伝えられる。

-


千家再興が許されたのち、小庵は京都に帰って千家を再興し、宗左、宗室、宗守の三人の孫によって、表、裏、武者小路の三千家が興され茶道の基礎が築かれた。