知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

草津宿

草津宿と政所

草津宿は東海道五十三次の宿場のなかでも大宿で水陸交通の要所でもあることから関所的な役割を担ってきました。

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この付近一帯は、政治的な中心地として、宿場における旅に必要な馬や人足の用意をしたり、宿の管理を行う問屋場があり、併せて東海道筋では三ヶ所しか置かれていなかった荷物などの重量検査を行う貫目改所も設置されていたので太田家を中心とするこの付近は草津の政所と云われてきた。

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関札(宿札)

関札は別名、宿札ともいい、江戸時代に大名や幕府役人などが本陣に休泊する標識として、休泊する者の氏名や官職、休泊の別(宿・泊・休)を記し、尺廻り(約30センチ)高さ3間(5.5メートル)の青竹に取り付け、本陣の前や宿場の出入り口に建てられたものです。

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関札には、木製と紙製の2種類があり、田中七左衛門本陣には木製のものが460枚、紙製のものが約2900枚と膨大な関札が残されています。

脇本陣(藤屋与左衛門家)

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平入り正面上部の虫籠窓風の意匠や漆喰で塗り込められ出桁などが町屋らしい雰囲気をかもし出しており、鬼瓦には文政13年の銘がみられる。
街道に平行した切妻造の背面で、棟が直交するT字型の屋根形式となっており草津宿の町屋にみられた特徴をもっている。

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草津宿には本陣が2軒、脇本陣が時代によって2〜4軒ありました。

道標(草津宿)

草津宿の江戸方入口であった草津川の堤上に建つ火袋付石造道標です。この道標は日野の豪商中井氏の寄進によって文化13年(1816)に建てられました。

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竿には「右金勝寺志がらき道」
     「左東海道いせ道」 と行き先が刻まれています。

石造道標(草津宿)

(南面)
伊勢大神宮 延宝八庚申年
七ヶ年中履行月参拝願成就所 みぎハたうかいとういせミち
山城愛宕山 十一月吉日
(西面)
                     京みぶ村
ひだりは中せんたうをた加みち   万宝院 
                     あしだの行者

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この道標は東海道と中山道との分岐点である草津宿の中央部に位置する追分の地に建てられていたことが伺われ、現在の草津追分に建てられている文化13年銘石道標(1816)の前身のものと推定されています。
道標の建立年代は、「延宝八庚申年」(延宝八年(1680))と刻銘にあり、滋賀県下で最も古いと云われている。

草津宿黒門跡

草津宿は、東海道と中山道が交わる宿場町であるため、宿場の入口は東海道の江戸方入口と京方入口および中山道入口がありました。
宿場町入口には、一般に見附と呼ばれる施設が設けられ、見附には石垣や土塁が築かれ、さらに柵などを設ける場合もあったようです。

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草津宿には、東海道入口に「坂口見附」、中山道入口に「札の辻見附(追分見附)」がありました。
東海道京方の入口である宮町と矢倉村との境には、文化14年(1817)には黒門が設置されていて、宿内と宿外を限る施設として存在しており、この黒門は幕末期に草津宿役人を勤めた駒井興左衛門の記録によれば、もともとは六丁目と宮町の境を流れる宮川に架けられた宮橋の南詰めにあった見附の石垣の上に建てられていたがその後、石垣が壊れたため矢倉村境に移築されたと云われています。

黒門の規模や形状は詳細な記述がなく、見附と同様な宿場町の保安的機能を有した門であったと考えられています。
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