中之庄遺跡は、発掘調査によって弥生時代、飛鳥時代、中・近世の3時期にわたる遺構が見つかった。
弥生時代では、前期から中期にかけての土抗と方形区画墓(方形に溝をめぐらせた墓)が見つかり、弥生時代前期からの生活の痕跡が残る重要な場所であることがわかった。

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飛鳥時代のものは、掘立柱建物跡11棟以上、竪穴住居跡3棟、石敷溝、苑地状遺構などが検出されている。
掘立柱建物は桁行五間、梁行二間の大型の建物を中心にして周囲に付属する建物群や石敷溝、苑池状遺構などが配置されている。

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この遺構群は、その内容や文献に書かれた事柄などの関連から判断して「菟田吾城」として登場する阿騎野の中心施設の一部であると考えられるとある。

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中学生の時、新聞に奈良で古墳が発見され発掘調査が始まっているとの記述があり、自転車で行ってみると、錆びた刀の束や土器の欠けらが出土していた。
土器の欠けらを貰えないかと聞くと、やるとは言えないので黙って持って帰れという意味のことを言うので3つほど持ち帰った記憶がある。