弘治二年(1556)、近江国犬上郡藤堂村(のち在土村、現滋賀県甲良町)に生まれる。15歳の時、浅井氏に仕え、姉川合戦で初陣を飾って以来各地を転戦し、天正4年(1576)21歳で長浜城主木下秀長(豊臣秀長)に300石で抱えられ、天正13年(1585)には紀州粉川(和歌山県粉川町)ではじめて一万石の大名となった。

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その後、豊臣秀吉の下で伊予宇和島七万石となり、二度の朝鮮出兵にも参加した。秀吉の死後は徳川家康と親しくし、関ヶ原の戦いの時には家康に味方して勝利をおさめ、伊予今治二十万石の大名となった。
慶長13年((1608)、いまだ大きな勢力を誇る豊臣家を包囲する重要な地の伊勢・伊賀に二十二万四千石で移され、大坂の役の後に加増され三十二万三千余石の大大名なった。