知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

街道

里程石

江戸時代には一般庶民の社寺詣でも盛んになり、旅人の利便性から高野街道筋には多くの常夜橙や道標、里程石が建てられました。

-

道標や里程石には、角柱に加工したものや自然石、お地蔵さんの形をしたものなどがあるが、この里程石は頭の先がとがった30センチの角柱で高さが178センチあります。
安政4年(1857)に建てられ「西是ヨリ高野山女人堂江八里」と彫られています。

三日市宿

-

五條新町

関ヶ原の戦いの功績により二見城主に封じられた松倉重政は、城下町の振興策として93軒の町屋を取り立て、その諸役を免許したことで五條新町を商人の町として繁栄させました。

-

慶長二十年(1615)に重政が島原に移った後は、新町は幕府の天領となりました。
この頃の新町は紀州街道に沿う宿場町としての性格を強めていきます。諸役免許は引き続き維持され、商売が営まれ、定期的に市も開催されていました。

-

交通の要衝として栄えた五條新町は、南和地域の政治経済の中心として着実に発展してきました。

道しるべ
国道24号線から168号線に入る本陣交差点には、伊勢街道、紀州街道、高野街道を示す古い道しるべが残っています。

-

高野街道

昨年の春と秋に竹内街道を歩いた。
このような企画がないと歩くことは少ない。

今年は西高野街道を来月から歩くことになっている。
この街道は少々距離がある。
史跡などを見ながら何回かにわけて歩く。

運動不足の折から進んで参加したいと考えている。


〈写真は昨年歩いた竹内街道〉

竹内街道
記事検索
おきてがみ
web拍手
Archives
メール
  • ライブドアブログ