誉田八幡宮の付近は、南北朝から室町戦国の各時代を経て江戸初期の元和年間にかけて戦略上の要地であったため再三古戦場の舞台となったところである。

南北朝初期の正平年間には、北朝方の細川兄弟の軍と楠木正行の間で合戦が行われ、室町中期の享徳年間には畠山政長と義就の間で再三にわたり誉田合戦が行われた。
すこし降って、永正元年(1504)には、前記の孫にあたる畠山稙長(タネナガ)と義英との間で合戦、あとで和議となり誉田八幡宮「社殿の盟約」が結ばれた。

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大坂夏の陣の折には、大坂方の武将薄田隼人正もこの境内に大陣を置き、この地より出撃して道明寺付近で討死している。

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