日野村井横町にある地蔵堂の下に清水あり、「若草清水」と呼ばれている。千利休の七哲の一人だった日野城主蒲生氏郷が茶の湯にこの水を使った由緒ある清水と云われている。
慶応二年((1866)、河原田町の谷孝道が若草清水を詠んだ歌碑を建てている。
たちよれば やがて心の底すみて
むすぶにあかね 若草の水
慶応二年((1866)、河原田町の谷孝道が若草清水を詠んだ歌碑を建てている。
たちよれば やがて心の底すみて
むすぶにあかね 若草の水
誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である