知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

賀茂真淵

本居宣長旧宅(国指定特別史跡)

この家は本居宣長が十二歳から七十二歳まで住んでいたところで宣長の祖父が隠居所として元禄四年(1691)に建てたものである。

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本居宣長はこの家で医者として仕事をし、古典の講義をしたり歌会を開いたりした。

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鈴屋
広さは四畳半の部屋で勉強や本を書いたりしていました。
二階の書斎は宣長が53歳の時、物置を改造して設けたもので柱に掛鈴を下げていたことから(鈴屋(すずのや)と呼ばれていた。

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宣長さんは「賀茂真淵」先生を大変尊敬していました。
正面の掛軸には「縣居大人之霊位(あがたいのうしのれいい)」と読み、「あがたい」は賀茂真淵のことで「うし」は先生のことです。

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新上屋

和歌山県新宮から三重県松阪に移動し宿泊の後、早朝から松阪城趾周辺を散策しました。

元、江州日野にあった蒲生氏郷が松ヶ島に移るとき随伴して来たものを、天正16年更に松阪へ移住せしめた、その後、日野から招き寄せたもので、旧地名をとって日野町と名付けた。

 通り日野町

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 新上屋跡(しんじょうや)−通り日野町
新上屋は、宝暦十三年(1763)五月二十五日、ここに宿泊した賀茂真淵に本居宣長が面会し国学の指導を受けた宿屋である。

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本居宣長28歳のとき、江戸から帰った人が賀茂真淵の書いた「冠辞考」という本を見せてくれました。
本居宣長は何度も読み返し、ぜひ真淵に会いたいと思うようになります。宣長34歳のとき、「夕べ真淵さんが松阪に泊まって伊勢へ向かった」と聞き追いかけるが会うことが出来ませんでした。

その数日後、再び賀茂真淵が「新上屋」に泊まったと聞き訪ねます。
この一夜の対面で宣長は「古事記を研究したい」と話し真淵の励ましと教えを受け門人となり「古事記伝」執筆をすることになります。
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