悲恋の末、大阪千日寺の墓地で遊女の美濃屋三勝と心中して果てた赤根屋半七は五條新町通りで染物屋を営む半兵衛の息子でした。

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元禄八年(1695)12月9日、ふたりは互いの体を赤絹裏の服紗縮緬で結びあわし、ともに咽喉を掻き切って死んでいたという。

男およそ34、5歳、女およそ24,5歳、半七たちの哀しいはかない恋はすぐさま「三勝半七艶容女舞衣」として歌舞伎の舞台にのぼり、次いで「三勝半七浮名の雨」「三勝半七道行尾花露」など矢継ぎ早に劇化され、大坂・江戸の観客たちを魅了した。
「三勝半七艶容女舞衣」は今もなお国立文楽劇場をはじめ上演されている。