知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

道標

道標

江戸時代街道を旅する人々が便りにしていたのが「道標」です。主要な道の分岐点には必ず道標が建っておりました。東西南北を太陽に頼るしかない当時の旅人にとって自分の行き先を示してくれる道標はどんなに有り難い存在であったか想像できます。

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この道標は伝馬の脇本陣であった杉山家所蔵の物を複製したものですが、素材も当時そのままの岡崎産の良質な「花崗岩」を使用し、建っていた場所は東海道より足助街道へ行く道を示しています。

炭酸源泉(有馬温泉)

湯泉神社

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炭酸泉源

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有馬温泉道標

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有馬温泉歴史コースを歩き終え、路線バスでゆっくりと宝塚駅まで帰りました。

草津宿追分

草津川隧道                      草津川は7月31日9時から工事のため通行ができ
                              なくなります

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草津宿追分
この道標はかつての日本五街道の最幹線で東海道と中仙道との分岐点であった。文化13年(1816)3月に建てられた火袋付きの道標で、江戸時代に東海道や中仙道を行き交う多くの旅人の道しるべとなっていました。
立木神社境内には延宝8年(1680)に、草津追分に建てられた県内最古の道標が残っています。

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草津川隧道
草津川トンネルは草津川が天井川であったことから出水に悩みまた通行にも不便をきたしていたことから、従来の堤防を登り川越のルートから草津川に隧道を掘って人馬・通行の便を図ろうと明治17年、中仙道筋草津川隧道開削新築事業起工の儀願書を県令あてに提出し、明治18年、総工事費7368円14銭9厘を以て着工された。

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道標(草津宿)

草津宿の江戸方入口であった草津川の堤上に建つ火袋付石造道標です。この道標は日野の豪商中井氏の寄進によって文化13年(1816)に建てられました。

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竿には「右金勝寺志がらき道」
     「左東海道いせ道」 と行き先が刻まれています。

道標(加太)

淡嶋街道にある道しるべ、「左阿王し満道」 江戸時代に造られた道標、左淡嶋神社と書かれている。

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あまの街道

あまの街道は河内と和泉を分ける陶器山丘陵の尾根を通り河内長野の天野山金剛寺(行基が創建、別名女人高野)への参道です。
平安時代後期より大坂四天王寺から紀伊高野山金剛峯寺(空海が創建)を結ぶ主要街道として賑わった西高野街道と分かれます。

左高野山 右天野山

あまの街道

陶器山付近

あまの街道

所々に道標がある

あまの街道

天野山金剛寺

あまの街道

道標(平野街道)

この道標は、1866年に建てられたもので西面は「右八尾・久宝寺・信貴山」とあるのは多くの人たちが信貴山にお参りしたことを示すとある。

南面に「大阪」とあるのは鶴の橋を渡り大阪に向かう人たちの標し。

道標



所在地 大阪市生野区桃谷3丁目18−32

東高野街道道標

京都から高野山に通じる東高野街道は堺は大小路からの西高野街道と河内長野で合流し高野街道となる。
室町末期に建設された富田林寺内町は江戸時代を通じ南河内随一の商業都市として発展し東高野街道を通って多くの旅人が行き来したとある。

この道標は刻字から1751年11月の建立であるという。

東高野街道道標


            くわえきせる
     町中             無用
            ひなわ火

道標に刻まれた刻字は、寺内町には藁葺きの家が密集し高台ゆえに水の便が悪く町全体が火事の予防に注意を払ってきたことがわかる。 
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