知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

醍醐寺

醍醐寺

一千百有余年の歴史をもつ醍醐寺、長年護り続けられてきた寺宝類の多くは国宝、国の重要文化財の指定を受けている。

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 光台院

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 三宝院土塀 庭園の撮影禁止は辛いが、心のシャッターを切っておいたので記憶には残っている。

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 西大門(仁王門)

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 この塔頭を下れば総門

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 霊宝館前の塔頭

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 霊宝館玄関

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 正面が総門

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女人堂(醍醐寺)

醍醐寺は貞観十六年(874)に弘法大師の孫弟子、理源大師・聖宝が創建した。山岳信仰の霊山であった笠取山(醍醐山)に登った聖宝は、白髪の老翁の姿で現れた地主神・横尾明神より、こんとんと水が湧き出るこの山を譲り受け、准胝・如意輪の両観音を刻み、山上に祀った、それが醍醐寺の始まりである。

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 鐘楼堂

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 観音堂

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 弁天堂

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 女人堂

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ここから上醍醐
下醍醐から約1時間、山道を登ると醍醐寺開創の起源となった醍醐水を初め、上醍醐には薬師堂(国宝)、清瀧宮拝殿(国宝)、開山堂(重文)、如意輪堂(重文)などがある。

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五重塔(醍醐寺)

五重塔(国宝)
醍醐天皇の菩提を弔うため、第一王子・朱雀天皇が承平六年(936)に着工し、第二王子・村上天皇の天暦五年(951)に完成した。

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初層の内部には両界曼荼羅や真言八祖が描かれている。高さは約38メートルで屋根の上の相輪は約13メートルあり、相輪が塔の三分の一を占め安定感を与えている。

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金堂(国宝)
醍醐天皇の御願により延長四年(926)に創建された。当時は釈迦堂といわれていたが永仁、文明年間に二度焼失した。現在の金堂は豊臣秀吉の命によって紀州湯浅から移築が計画され、秀吉の時代、慶長五年(1600)に完成した。
安置されている藥師如来座像が本尊である。

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三宝院(醍醐寺)

永久三年(1115)、醍醐寺第14世座主により創建、現在の三宝院は慶長三年(1598)豊臣秀吉により再建されたもので、唐門や表書院は国宝に、その他の建造物は大半が国の重要文化財に指定されている。

 唐門

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桃山時代を代表する秀吉設計の庭園は池泉回遊式と枯山水が折衷されている。

 玄関(大玄関と小玄関がある)

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豊臣秀吉が開いた「醍醐の花見」に倣って、毎年四月第二日曜日には「豊太閤花見行列」がおこなわれる。

備考 院内及び庭園は撮影禁止となっていて監視員がいる。

醍醐寺

京阪電車中書島駅から宇治線で六地蔵駅で下車して、駅前からバスで約15分醍醐寺前で降ります。

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真言宗醍醐派の総本山で、山上の上醍醐と山下の下醍醐から成る壮大な寺で天暦五年(951)に完成した京都府域最古の五重塔をはじめ、四万点に上がる多くの国宝や文化財を有している。

 総門

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応仁の乱や文明の乱により、五重塔を残してすべて焼失したが、慶長三年(1598)に豊臣秀吉が北政所らを醍醐の花見に誘ったことをきっかけに、秀吉の厚い帰依を受けて復興された。
本堂の金堂(国宝)は慶長四年(1599)に紀州湯浅の満願寺から移築したものといわれ、三宝院庭園(特別史跡及び特別名勝)は、華麗で豪華な桃山時代の庭園で秀吉の権勢をしのばせている。

 西大門

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