ここは全国二百万と言われる鈴木性の元祖(ルーツ)とされる藤白の鈴木氏が住んでいた所です。

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平安末期頃(1150年頃)、上皇や法皇の熊野参拝が盛んとなり熊野の鈴木氏がこの地に移り住み熊野三山への案内役を務めたり、この地を拠点として熊野信仰を全国に普及すべく、三三〇〇余の熊野神社の建立に努めたと伝えられている。

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なかでも、鈴木三郎重家と亀井六郎重清の兄弟は有名で、幼少の頃、牛若丸(源義経の幼名)が熊野の往還に、この屋敷に滞在し重家・重清らと山野に遊んだとも伝えられています。
後に、義経の家臣として衣川の戦いで共にその生涯を終えたと伝えられていますが三郎重家は秋田の山奥に難を逃れ落ち武者として土着帰農し鈴木家の分家として現在の秋田県羽後町に歴史を継承し、その屋敷は国の重要文化財に指定されています。

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曲水泉
旧鈴木邸庭園は、「曲水泉」といわれるもので、今も残る貴重な庭園の一つに数えられています。
「曲水泉」というのは、平安時代の頃、曲がりくねった水路に沿って並べた庭石に、人々が腰をかけ、上流から流された杯が自分のところにくるまでに詩歌を作り、杯をとりあげて酒を飲み、次に流す遊びに使われた庭です。

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造園の年代時期は、室町時代ではないかと考えられています。