銅亀山古墳は、仁徳天皇御陵の前方部の西側、外濠に沿って造られ、仁徳天皇陵古墳と関わりのある古墳(陪冢)と考えられ、墳丘は2段に築かれ百舌鳥古墳群では数少ない方墳の一つです。

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発掘調査では、墳丘の東側で濠が巡ることを確認し、円筒埴輪が出土しました。南側は濠が巡らないことが判明したため、単純な方墳ではなく前方部や造り出しがつく可能性があります。

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上空から見た銅亀山古墳

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