知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

長瀬川

二俣(旧大和川)

この地は旧大和川が今の王串川と長瀬川に分水するところである。

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宝永元年(1704)10月、今米村(旧河内市、現東大阪市)の中甚兵衛らによって40数年にわたる請願が幕府を動かし、今の大和川へ川筋が付替えられた。
その後、この地一帯の旧河川敷は東弓削、弓削の人々によって開墾されて「二俣新田」と名付けられ地名となった。

久宝寺寺内町ぶら〜り散策

夏休み中ではありますが天気が良いので、
大阪府富田林市を流れる石川沿いの自転車道を通って柏原へ、

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柏原の長瀬川沿いに北進して久宝寺船着場跡へ、

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久宝寺船着場跡

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久宝寺寺内町

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本日の走行距離は53キロでした。

アクアロードかしわら

長瀬川は、1704年大和川付け替えという国家大事業で従前の河内平野の農業灌漑水路として古くからその役割を果たしてきた歴史的な水路です。

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昭和30年代の高度経済成長期には沿線の開発が進み、周辺は田畑から工場や住宅地にかわり産業排水や生活汚水の排水路としての役割を果たしてきました。

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大阪府柏原市の市街地中心部を流れる長瀬川

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築留土地改良区
大和川の付け替え後、築留の地に取水樋門を造り長瀬川や玉串川筋の田畑に引く用水路管理のために「築留樋組」がつくられ、その後明治41年に「築留樋普通水利組合」昭和27年以降は「築留土地改良区」とよばれている。
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