ここ笹尾山一帯の石田三成隊六千余りは、正面に竹矢来の柵を二重に配置し、前衛隊長の島左近の指導のもと、凄まじい死闘を展開しました。小早川らの裏切りは戦況を一変させ、西軍の実践兵力は三万五千前後に激変し、西軍の敗色濃厚となるや最早これまでと三成は北国街道沿いに敗退していったのです。

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竹矢来
竹や丸太を粗く組んで作った臨時の囲いのことです。すき間が四角になったものを角矢来といい、菱形になったものは菱矢来といいます。
これは敵の容易な進入を防ぐのに利用したもので、三成は正面にこの柵を二重に巡らし、嶋と蒲生の指揮する二隊を前面と中間に配し、自分自身は警護の兵と山頂に陣取りました。

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