知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

関宿

関宿 東の追分

徳川幕府が1601年に宿駅の制度を定めた際、関宿は東海道五十三次で47番目の宿場となり1843年には家数632、本陣2、脇本陣2、旅籠屋42があった。

関宿(下の写真は東の追分)

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鈴鹿峠をひかえた東海道の重要な宿駅として、伊勢別街道や大和街道の分岐点として栄えた。

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関宿高札場

関宿高札場には八枚の高札が掲げられており、その内容は生活にかかわる様々な規範、キリシタン禁令や徒党・強訴などの禁止といった幕府の禁令、隣接宿場までの人馬駄賃の規定など、

明治10年に関宿高札場はすべて撤去された。

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