上田城や藩主屋形の土塁・堀・城下の寺社の配置等には鬼門除けが見られ、真田氏の頃から設けられていたとされる。鬼門とは北東の方位で、鬼が出入りする方角として忌み嫌われ、建物等の東北の角をなくして隅欠(すみおとし)としたり、城下町の鬼門に寺社を置いたりした。

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上田城本丸の土塁は北東の角を切り込み、櫓2棟をその両脇に配置していた。堀や土塁の斜面が内側へへこんで見えるのはそのためである。
二の丸堀の東北の角は、かぎの手に折り曲げ、外側を「樹木屋敷」と呼ぶ林としていた。また、藩主屋敷の土塁・土塀も隅欠をするなど、各所に鬼門を除ける強い意識がみられる。