知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

雨森芳洲

梅花藻


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     水清き人の心をさめが井や
         底のさざれも玉とみるまで     雨森芳洲

八十歳で一万首の歌を詠む決意をした芳洲は古今和歌集を千回も復読したという。この歌もその中の一首である。

 梅花藻

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芳洲庵

雨森芳洲は1668年に近江国伊香郡雨森郷に生まれ、十八歳になると学問の道を志し木下順庵の門をたたいた。
やがて師の順庵の推挙で、僻遠の地、津島藩の宗氏に仕える。徳川幕府は鎖国政策を外国との交流のない時代であったが朝鮮とは「通信の国」として交流があった。

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対馬藩に儒者として迎えられた芳洲は、二十九歳で朝鮮方佐役という外交の実務を担当する役を命ぜられ対馬藩が受け持つ朝鮮外交の担い手として活躍する。

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当時は、筆談外交の時代であり芳洲は「相手国のことばが語れなくて何が交隣ぞや」と三年間釜山に滞留して朝鮮語を修得した。江戸時代の中期、三音(三ヶ国語)の通じる国際人は雨森芳洲ただ一人であったろうといわれている。

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芳洲は正徳元年と享保に朝鮮通信使に随行して「誠信外交」を実践した。
八十八歳という高齢で対馬において天寿を全うするが、その生涯は日朝友好の架け橋を渡した先駆者であり今なお輝いている。
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