江戸時代、この地には、干物や塩魚、鰹節など生魚以外の海産物を売り買いする市場がありました。豊臣時代には、海産物の市場は一つで、今の北浜あたりにありましたが、江戸時代の初め、元和四年(1618)には生魚と乾物などを扱う市場に分かれて生魚市場が本町の辺りに移りました。

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元和八年(1622)には、乾物などを扱う市場も、ここ靱の地に移ってきました。寛永元年(1624)には、海部堀川という水路が開かれ、其の時に人工的につくられた永代浜が、荷あげ用の岸として使われるようになると取引の量も増えて市場も広がり、江戸時代を通して栄えました。

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