並河家は卜半家の家来で代々その要職を務めた家柄である。
当家住宅は願泉寺の門前通りの「御坊前通り」に西面し、外観は町家の形式が
あるが、内部は式台玄関を配する武家の住宅となっている。
主屋は天保3年(1832)の建立といわれ、土蔵は江戸時代後期である。

並河家住宅(登録有形文化財)

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願泉寺(貝塚御坊)
天文14年(1545)、無住であった草庵に紀州根来寺から卜半斎了珍を迎え、一向宗の町づくりがはじめられた。石山本願寺から寺内町にとり立てられた後、天正5年(1577)には、その支城として織田信長と戦い、町は焦土と化した。
その後、寺も町も再興され、天正11年(1583)から2年の間、紀州鷺ノ森より顕如上人を迎えて本願寺御堂となった。

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江戸時代には町は寺領とされ、住職の卜半家の支配が続いた。

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貝塚寺内町は、南北約800メートル、東西約550メートルの広さを持つ環濠城塞都市であった。
西は大阪湾、北は北境川、南は清水川を濠と見立て、これらをつなぐ形で濠をめぐらしていた。慶安元年(1648)の町絵図によれば、濠の内側には土塁が築かれ、6ヶ所の町の出入口には番所が置かれていました。