吉品(よしのり)の没後、その規模は元の御泉水屋敷の敷地に戻り、引き続き、茶会・饗応の席や藩主一族の休養の場、住居などとして使われました。
その後、明治維新によって福井城は政府所有となりますが、御泉水屋敷の敷地は松平家の所有地として、福井事務所や迎賓館の機能を果たしています。
「養浩館(ようこうかん)」の名は明治17年、松平春嶽によってつけられました。「人に元来そなわる活力の源となる気」、転じて「大らかな心持ち」を育てることを意味するようになった孟子の言葉「浩然(こうぜん)の気を養う」に由来すると言われています。
大正2年には、元首相の大隅重信夫妻をもてなすなど、昭和初期まで越前松平家休養や迎賓等の場として使われ続けました。

-

-

-

-

-