知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

高野山

蟠龍庭(高野山金剛峯寺)

石庭としては我が国最大の庭(2340平方メートル)で、雲海のなかで雌雄一対の龍が奥殿を守っているように表現されている。龍は四国産の青い花崗岩140あり雲海には京都の白い砂が使われています。

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備考
金剛峯寺は、文禄11年(1593)豊臣秀吉が亡母の菩提の為に建立し、さらに文久三年(1863)再建されたのが現在の建物である。
明治二年、金剛峯寺と改称されるまで青巌寺と呼ばれていた。大主殿、別殿、新別殿、奥殿、新書院、茶室など、
金剛峯寺は、高野山全体を総轄する伝統はそのまま残され、総本山として一切の宗務を司る宗務所がある。

奥の院中の橋(高野山)

中の橋

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慈眼堂河野宗寛老師歌碑
     親のなき子らをともない 荒海をわたり帰らん この荒海を
故河野宗寛老師は終戦の時、満州から多数の戦争孤児を内地に連れ帰った禅僧

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備考
高野山は、海抜900メートルの高峰上にある総面積33万坪の一大盆地である。

奥之院と一の橋(高野山)

奥之院表参道一の橋
高野山信仰の中心で、奥之院へは正式には一の橋から参拝します。一の橋から御廟まで約2キロの道のりには、およそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が樹齢数百年を超える杉木立の中に立ち並んでいます。

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備考  一之橋は、正式には「大渡橋」または「大橋」と言います。

高野山を歩く(世界遺産)

世界遺産とは、
遺跡や文化的価値の高い建造物、貴重な自然環境を保護・保全し、人類にとってかけがえのなない共通の財産を後世に継承していくことを目的に、ユネスコの世界遺産条約に基づく世界遺産リストに記載されている物件のことをいいます。

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高野山警察

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女人堂
「不動坂口(京口)」高野山と学文路、橋本を最短コースで結ぶ登山口で、堺の大小路橋を起点とする西高野街道の終点にあたる。そのため、不動坂口への女性の参籠が最も多く、単に女人堂と云った場合、不動坂口の女人堂をさす。

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高野山の町並み(世界遺産)

「紀伊山地の霊場と参拝道」として世界遺産に登録された高野山は開創1200年を迎えます。
今回は高野山駅前からバスで千手院橋で下車し、金剛峯寺の庭園を見学した後、徒歩で奥の院へ向かいました。

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備考
所在地 和歌山県高野町高野山
      南海高野線難波駅から終点極楽橋駅へ、ケーブルで高野山駅へ、バス専用道路で高野山へ 

高野の伽藍(その九)


 金堂

高野山開創当時は講堂と呼ばれ、平安時代半ばから高野山の総本堂として重要な役割を果たし、現在の建物は7度目の再建で、1932年に完成、梁間23.8メートル、桁行30メートル、高さ23.73メートル、入母屋造り

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 大塔

816年から887年ごろに完成したと伝えられ、この大塔を真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立され、根本大塔と呼ばれ、多宝塔様式としては日本最初のものといわれている。

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高野の伽藍(その八)

 不動堂
1197年、鳥羽上皇の皇女である八條女院内親王が発願し、行勝上人によって建立された。もともと一心院谷に建てられていたが、後世になって伽藍へ移築された。
現在の建物は14世紀前半に再建されたもの、

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 愛染堂
1334年、後醍醐天皇の綸命によって四海静平、玉体安穏を祈るために建立された。
現在の建物は1848年に再建されたもの、

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高野の伽藍(その七)


1848年に再建された五間四面のお堂で、長日不断談義の学堂として壇場に移し蓮華乗院と称したが現在では法会執行の際の集会所的役割を担っている。

 大会堂

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 六時の鐘

福島正則公が父母の追福菩提を祈って1618年に建立した、午前6時より午後10時まで偶数時に時刻を知らせている。

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高野の伽藍(その六)

三昧堂  1848年再建

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済高座主(870年〜942年)が929年に建立されたお堂で、もともと総持院境内にあったが、済高師はこのお堂で「理趣三昧」という儀式を執り行っていたため、三昧堂と呼ばれるようになった。

高野の伽藍(その五)

金輪塔
二間半四面の宝塔 1046年以後1108年以前 現在の塔は1834年に再建

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