私達が三重県の山奥から大阪に引っ越して来たのは私が小学二年生の時だった。父から「窓を開ければ電車が見える」と聞いて兄妹で喜んだものでした。

私達の家は高台にあり、この暗渠の上を電車が通っている、窓を開ければ電車が見えて白い特急が通るときは「白電車」といって喜んだ。近隣は農家が多く、この暗渠の両側が一面の田圃であった。

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当時、我が家は大変貧しかった。かといって父が怠け者ではなく良く働く人だったが毎日が麦飯だった。年に2回は白いご飯が炊かれた。私は何度も白いご飯と鰹節があれば何も要らないと思ったものでした。

4年生になったある日、私の右前に座っていた女の子が弁当を床にひっくり返した。普段から左手と頭で弁当を隠して食べていた。麦飯だった。学校からかなり離れた山の中腹に家がある静かな女の子だった。

私は何といっても男の子だったから麦飯は平気に食べていたが子供心にも「かわいそう」と思った。恥ずかしかっただろうと思った。

当時の麦飯は炊きたてはまだしも冷たくなると不味かった。今の麦はあの頃の麦とは比べものにならいくらい美味しい。また、麦を少し入れると体にも良いと聞いている。