武士の子弟が学ぶ藩校は岡山市内にあった。閑谷学校は庶民の学校として藩主池田光政が「この地は読書・学問するによし」として重臣津田永忠に建設を命じた。

火除山

文庫の西にある丘は学舎学寮から火がでるようなことがあっても講堂などに飛び火しないように人工の山を築いた。

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この火除山の西に学房跡がある。

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現在残されている建物は明治38年私立中学閑谷黌の校舎として建築されたものである。

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現在は資料館として使われている。

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黄葉亭

閑谷学校の東を流れる閑谷川に沿って進むと津田永忠宅跡があり、さらに進むと黄葉亭がある。
来客の接待や教職員・生徒の憩いの茶室として文化10年(1813)に建てられた。

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