黄金塚には楠木正成が黄金を埋蔵したという伝承があります。
「朝日さし夕日かがやくみつばうつぎのその下に小判千両のちの世のため」という歌も伝えられています。
また、長野公園(長野地区、河合寺地区)は楠木正成が築城した「河合寺城」跡地でもあり、長野地区の展望台付近が河合寺城本丸跡地であったと伝えられている。

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元弘二年(1332)楠木正成の設けた城塞の一つとしてここ長野公園に河合寺城という出城がありました。鎌倉幕府と後醍醐天皇との戦いで天皇側であった楠木正成は千早城にて約1000人の軍で幕府側数十万人軍を迎え撃ちました。
圧倒的に不利な状況で戦いの天才であった楠木正成は当初は2,3日で負けると言われた戦いを約半年にわたって守り抜き、そして最後には退却に追い込みました。
河内の山々に築いた出城を駆使し敵を翻弄したのです。その激戦の最中、後の世を考えこの黄金塚が築かれたと伝承されています。