大阪府河内長野は、明治の末頃、高野鉄道が開通したことにより極楽寺温泉など観光地として賑わい、昭和に入ると石川沿いに長野新地ができたとの説明がある。

私が言い伝えにより聞いた話では高野鉄道建設には村人が多数協力している。河内長野駅から三日市町駅まで延長されたのは大正に入ってからだ。

職場の先輩から新地に連れって貰ったのはまだうら若き頃だったと記憶する。現在の河内長野駅東口から左に坂道を下ると右に降りる階段がある。

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この石川に架かる黄金橋(こがねばし)を渡ると長野新地があった。
道の両側には灯の付いた提灯が周りを照らし小料理屋が立ち並んでいた。


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三叉路を左に曲がった右に小料理屋はあった。
入り口を入ると正面にカウンターがあって左に個室が並んでいた。その個室でおばあさんが三味線を弾いてくれるのであった。

時代の流れかすべて住宅地となっていた。温泉宿は何軒か残っているようだ。