文久三年(1863)5月、坂本龍馬は神戸海軍塾資金調達の為福井へ来た際に由利公平(三岡八郎)宅へ夜半にも関わらず、幸橋(文久2年架橋)を横目に小舟に棹さして福井藩政治顧問・横井小楠と共に訪れた。そこで、肝胆相照らす仲となり福井藩の挙藩上洛の話や、ニッポンの洗濯の話など熱い想いを歌に託し、この地にて謡ったと伝わっています。

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「そこで三人が炉を抱へて飲み始めたが、坂本が愉快極まって、
     −−−君がため捨つる命は惜しまねど心にかかる国の行く末−−−
という歌を謡ったが、その声調が頗る妙であった。翌朝、坂本は勝つと大久保に会いにいくという事で江戸に向かった。」(由利公正伝)